アメリカ留学しようと思わされた3つの出会いと出来事!

こんにちはTAROブログを運営しているRYOTAROです

 

僕は現在アメリカオハイオ州のクリーブランドという街に留学しています。来年1月からオハイオ州立大学に編入することが決まっておりすごくワクワクしています。

 

こんな大学です

https://www.nicuc.ac.jp/abroad2/usa/univ/osu.html

 

 

 

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しかし、留学を決意した当時(三年前)はまさか自分が目指していた大学に本当に合格してそこで勉強できるなんて正直想像できなかったですし、アメリカに旅立つ前は不安で夜も眠れない時もありました。

 

それもそのはずで、僕はアメリカに来る前の人生ではほとんど勉強をしたことがなく、僕が通っていた高校は大阪にある偏差値40台の私立校で、どこも行くところがなかった僕を見かねた親が見つけてくれた。

 

その高校は本当に名前さえちゃんとかければ誰でも入れるような高校でした。

(最高の友達に出会えたのでその高校に行ったことは1ミリも後悔していません)

 

 高校時代は、サッカー部に所属していましたが大阪でも最弱と言ってもいいほどのチームでした。(高校最初の公式戦で13−0で完敗w)それでもサッカーは大好きでした。

 

過去の自分の考え方は、なるべく周りの友達や先輩と同じように大学に行き、いっぱい遊び、そして普通にサラリーマンになる。それがそんな難しく考えなくてすむし、何より誰からも何も言われないのでそーしよと思っていました。

 

なんの目標もなく、普通の人生でいいや俺はってずっと考えてました。 

 

こおいった人間がういったことをきっかけにアメリカ留学に行こうという決断まで至ったのかシェアさせていただきたいと思います。

 

 

本当にいろんな要因がタイミングよく重なっていて特に3つの出来事、出会いが僕の人生に大きな影響を与えたと考えています、この決断にいたりました。

 

この話をするにあたり全面的にサポートしてくれた両親への感謝を抜きにしては語れません。お父さんお母さん本当にありがとう。

 

 

それではいきましょー!!

 

 

 

 

 

高校時代

 

高校時代の僕は、自分が勉強をせず、それを見かねた母親が探してくれて進学した学校にもかかわらず文句ばっかり言ってました。例えば学校が遠いとか、こんな学校行ってても意味がないなど。

 

自己責任なのにもかかわらず誰か他人のせいにして、自分を正当化しようとしていたんだと思います。

 

中学生の頃に期待していた高校生活とはかけ離れていました。部活に青春を捧げる訳でもなく、燃えるような恋愛をすることもなく(クラスに女子4人しかいませんでしたw)ただ学校に行き、早く時間過ぎんかなぁーってのをずっと考えてました

 

 

そんな高校1年生の夏休み前、僕は学校にアメリカ留学のプログラムがあることを知りました。(これもまた母親が見つけてくれました)

 

 

当時の僕はアメリカに一年も行けば英語がペラペラになると信じており、学校もそんな楽しくなかったので、両親に一年間留学に行きたいと伝えアメリカに一年間留学しました。(僕が親ならこんなやつに留学なんか行かせてなかったと思います。笑)

 

 

アメリカ生活

 

アメリカに着き、時差ぼけの中すぐに現地のホストファミリーと合流し、いきなり僕の留学生活がスタートしました。

 

当時の僕の心境としてはここに1年間もいれば英語が話せるようになる!!今必要なのは我慢することだ!とバカみたいな思考でひたすな時が過ぎるのを待っていました笑。

 

インターネットの情報によると、3ヶ月もすれば耳が慣れてくるらしく、半年後には日常会話程度はできるようになるよと書かれているのを見て僕は「うひょー!楽しみやなー!数ヶ月後には英語話せるようになってるのか!!」というような気持ちでした。

 

そしてその情報を真剣に信じていた僕は自分から英語を勉強することもなく、ただただ時間が過ぎるのを待っていました。

 

そして数ヶ月、半年が過ぎ、気がつけば一年間の留学は終わっていました。

 

そして僕の英語力はどうなったかと言うと、みなさんご察しのとおり壊滅的でした。。

 

具体的に言うと、英語で自己紹介(名前、出身国、年齢)、where is a bathroom?、そしてホストブラザー頻繁に使っていた What a f**kとこの三本柱でした。あとCan I も使えてました。

 

そのくせ、日本に戻るとアメリカかぶれっぷりをみんなに見せようと、頻繁にWhat a f**k を連呼していたのを覚えています。(こんなやつにはならないようにね☺️)

 

そして日本に戻ると、家族、友達、親戚、みんなが僕が英語を話せるにようになったと期待し、「英語話してー!!」とキラキラした目で僕に話かけてきました。

 

僕も僕で、1年も行って全く英語が話せないなんて思われたくなかったので必死に、「今はそーいう気分じゃない」とか言って透かしていました。今思うと最強にダサい。

 

そんな感じで、当時はアメリカ留学をしたことは自分の中で黒歴史になり英語と言う単語がトラウマでしかたありませんでした。

 

大学時代(日本の大学)

 

そんな僕も高3になり受験のシーズンを迎えました。

 

自分のコンプレックス、留学したのに英語が話せないというのを克服するため、英語を勉強できるような大学に行くことを決め、勉強しなんとか入学できました。

 

この大学生活で人生を変える3つの出会い、出来事があるとは入学当初はまだ知りませんでした。

 

大学が始まり僕はようし英語を勉強するぞ!!と燃えていました。

 

しかし、そのモチベーションは3日で沈下し、気持ちはサークルの歓迎会、友達との飲み会、バイトにシフトしてしまいました。

 

そのような生活を数ヶ月ほどし、最終的に僕はハンドボール部に入部することになりました。(やっぱりスポーツが大好きなんです)

 

大学での楽しみは、部活に行くこと、そしてチームメイトと飲みに行くことでした。そしてキャンパス内で美人を探すことくらいでした。

 

 

一つ目の人生を変える出来事

 

2年生の春、一つ目の人生を変える出来事が起こります。

 

それは、2年生時のハンドボールの春大会で、僕はスタメンで試合に出れることがわかり「よし!!やってやるぞーー!!」と燃えていました

 

そして試合が始まり早々に僕のところにボールが回ってきました。僕はボールを取ろうとジャンプし、着地しようとしたところ、少し変な角度で着地してしまい膝の前十字靭帯を断裂してしまいました。(開始1分くらいでした笑)

 

すぐ病院に行きお医者さんに手術が必要だといわれ、1年間はハンドボールできませんと言われました。

 

そして夏休みほぼ丸々を病院で過ごすことになりました。

 

病院はWi-Fiがあるところが限られており、病室にはもちろんなく、手術後一週間はベットの上からほぼ動けなかったこともあり、本当に暇でしかたありませんでした。

 

しかし、この暇な時間が、僕に初めて人生について考えさせれるきっかになりました。

 

僕はある日病院から外を眺めながら、おじいさんが看護師さんと外を散歩しているのを見ました。最初僕は気持ち良さそうだなぁと思いながら眺めていた。

 

そのおじいさんを眺めながらふと、俺もいつか歳をとって、おじいさんになるんだなぁーと思った。

 

そして少し想像してみた、80歳になって現在の自分を振り返った時に後悔のない楽しい20歳だったと思えているだろうかと。

 

答えはノーだった。今の大学生活は楽しいし、嫌なこともほとんどなかった。

でも自分に圧倒的に欠けていたもの一つあった。それはワクワクする気持ちであった。

 

楽しいと言う感情は普段から感じていたものの、ワクワクという感情は最後に感じたのはいつか思い出せなかった

 

そして、どうせ生きるなら自分の人生にワクワクするように生きていたいと思い自分が本当に好きなことはなんだろうと考えに考えた。

 

それでたまたま病院の休憩所でテレビでリオオリンピックがやっているのを見た。

 

その時初めて、自分はスポーツを見ている時はすごく夢中になっており、それを見て僕はやっぱりスポーツが好きなんだと気付きました。

 

そして将来何かスポーツに携われる仕事がしたい!という気持ちになりました。

 

でもどうすればいいんだろう?? そうしてる内に入院生活は終わった。

 

二つ目の人生を変える出来事

大学時代に同じ必修のクラスを一緒に受けていた友達がいた。彼とは考え方や居心地の良さから一緒に昼ごはんを食べたりご飯に行ったりと仲がよかった。

 

そんな彼が2年生の春学期終了後にいきなり大学を辞めると言い出した。

 

理由を聞くと、ネットで知り合ったギリシャ人に恋をしてしまい、その彼女に会いに行くためとぶっ飛んだものだった。笑

 

僕はその彼の行動を見て、その自由な発想とそれを実際にする行動力に驚かされた。

 

そして僕はずっとここの大学は最低卒業しておいた方がいいと考えてたが、大学を辞めるって選択肢もあるんやなと気づかされ、そこから大学を変えて、一からスタートでもいいからスポーツを勉強できる大学に行こうと決意した。

 

最初は日本の大学を探していたのですが、この後出てくる、三つ目の出来事で紹介する本の中でアメリカの大学の制度を知りこれなら僕でもできるのではないかとアメリカの大学もありだなと思いはじめました。

 

その制度は2+2といい、2年間コミュニティーカレッジ(短大)で勉強し、その学校である程度優秀な成績を取得できたなら、4年生の大学に3年生として編入できるといったシステムです。

 

アメリカの大学では最初の二年間は一般教養の主勉強し、3年生から自分が勉強したい専攻の勉強が始まるシステムなのです。

 

なのでその最初の二年間で自分の英語力と教養を身につければ、ある程度の名前のしれた大学に入れるといったことを知りました。つまり高い教育水準のスポーツの勉強ができると知りました

 

そしてアメリカの大学もちょっと視野に入れてみるかと思いはじめました。

 

しかしまだこの時点では、アメリカ留学は非現実的なこととして捉えていました。

 

三つ目の人生を変える出来事

 

ある日、アメリカ留学に興味を持ちはじめた僕は、何か行動してみようと思い、英語の教材を買おうと本屋に行きました。

 

しかし本棚には教材がかなり種類があり、どれが自分にあってんやろーっ、てか自分の英語力ってどれくらいなんやろーって気持ちでした。

 

でも正直英語もうこれ以上伸びやん気がするし、どうしよー思っていると、棚の隅の方にこの本が置いてありました。

 

バカヤンキーでも死ぬ気でやれば世界の名門大学で戦える。

バカヤンキーでも死ぬ気でやれば世界の名門大学で戦える。

  • 作者:鈴木 琢也
  • 出版社/メーカー: ポプラ社
  • 発売日: 2015/10/05
  • メディア: 単行本
 

 

 

この本を見つけた時の感想は、なんやまたこういった感じの本当は頭のええ人がただ今まで勉強してなかっただけで、何かをきっかけに勉強しはじめたらうまくいきましたみたいな話やろーって。

 

だけど、少し興味があったので数ページ読んでみると、自分よりも圧倒的に勉強してきてない過去+25歳という年齢から再びアメリカの大学に挑戦する。

 

一見無謀のように見える挑戦もその圧倒的な努力と熱量で、少しずつアメリカの名門大学UCバークレーに近づいていくこの本を読んだ時僕は、もしかしたら、今からでも俺も本気で目指したらアメリカの大学に行けるんちゃうかなと!!と言う気持ちになってきました。

 

それと同時に俺は、こうやって挑戦してもないのにできない理由を探して、挑戦しない自分を正当化してきてたんだな、情けないと考えさせられました。

 

 

アメリカ大学決意!

そしてあの本を読み終わった僕はついにアメリカ留学にいくことを決意しました。そしてどうせいくならアメリカでもトップクラスのスポーツビジネスを学べるところに行こう思い、The best university for Sports business みたいな感じに調べたのを覚えています。

 

そして出てきたのが、ボストンにあるアムハースト大学とオハイオ州立大学でした。

 

そして僕はGoogleマップで、ボストンとオハイオの街を見比べた時に、オハイオの方が田舎で過ごしやすそうと思ったのでオハイオ州立大学を目指すことしました!    (単純笑)

 

 

最後に

 

再びになりますが今こうやって留学できているのは本当に両親の経済的、精神的サポートがあるおかげで、自分自信ではまだ何も成し遂げたとは思っていません

 

あと残された二年間で多くのこと学び経験し、そして卒業して、その経験が誰かのため社会のために活かせた時に、この経験の価値が最大化できると思っています。

 

それまでは満足することなく突き進みます!!

 

最後にもし何か、迷っていたり、最初の一歩が踏み出せない方のために僕の好きな言葉をシェアさせてください。

 

人間、不可能なことはやりたいとは思わない。やりたいと思うことは自分の心のどこかで少しでもできると信じているからである

 

 

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Enjoy Your Life!!